訃報:ライナー・ショルム

ライナー・ショルム(Rainer Schorm)
1965.08.09. ー 2025.03.01

3月17日付けのローダン・ファンツェントラーレの告知によると、姉妹シリーズ・ローダンNEOの草案チームの一方を務める作家ライナー・ショルムが亡くなったとのこと。享年59歳。

PRFZ(実質旧PROC)の会誌SOL名誉編集長クリスティナ・ハッカーの文によると、11日にリュディガー・シェーファーから相方の訃報をうけたとのこと。病気か事故か理由は不詳。亡くなった日付については、告知後にPerrypedia当該ページの更新から。

10代の頃からキャプテン・フューチャーの翻訳などSFに親しみ、特にローダンは読者投稿欄(LKS)に葉書が載るくらい熱心なファンだったらしい。
グラフィックデザイナーとして広告代理店に勤務するかたわら、2007年からは文筆家としても活躍する。
著作一覧を見ると、〈鬼火〉(Kelter社)などと並んで、VPMの女性向けミステリ〈ガス燈〉も執筆している。ペンネームに女性名(Regina Shadow)があるのはそのためか。
(でも……このシリーズって2007年にはもうなかったような? いやでも前職で後輩のお姉さんが買ってきたという姉妹シリーズ〈ガス燈クライマックス〉の原書をもらったのは2004年? 5年?)

ローダンNEOには70巻『ナート人の叛逆』から参加。2017年に草案チームのブーフホルツが亡くなった後をうけ、150巻からの第3期以降シェーファーとコンビを組んだ。先頃、同年生まれのシェーファーの還暦を祝う記事が公式サイトに掲載されたところだったのだが……。
先週、担当する352巻『盗賊カレムブロイク』が刊行されたばかり。通例だと、シーズン終盤にもう1編が彼の作となるはずだけど、どうだろうか。
※編集部ブログの記事によると、これがショルムの最終担当巻になるそう。

ともあれ、謹んで冥福を祈りたい。

■公式サイト:Rainer Schorm
■Perrypedia:Rainer Schorm

訃報:トマス・ラーベンシュタイン

トマス・ラーベンシュタイン (Thomas Rabenstein)
1963.03.15 – 2025.02.02

2月4日付のPROC(ファン・ツェントラーレ)の告知によると、ローダン作家であり、インターネット上でのファン活動の草分けでもあったトマス・ラーベンシュタインが2月2日に、長い闘病生活のすえ亡くなったとのこと。

オンラインでのファン活動として、彼の主導するPRWCC (ペリー・ローダン・ワールド・コミュニケーション・クラブ)と、現在ファン・ツェントラーレ代表であるニルス・ヒルゼラントのTOPRC(オンライン・ペリー・ローダン・クラブ・テラニア)が1998年に合体したものが、後のPROC(ペリー・ローダン・オンライン・クラブ)の母体となった。

PROCは公式FCともいえるファン・ツェントラーレにプロジェクトを委譲して2016年に解散。

また、彼の運営していたサイト〈Perry Rhodan-Webchronik〉は、各話の要約、用語解説等、後のPerrypediaの前身ともいえる様式だった。まだ電書がなく、原書輸入にタイムラグが数ヵ月かかった90年代に、先読み情報を仕入れるのに、とてもお世話になった。
このサイトは2003年12月に閉鎖され、Webchronikの看板を別のファンに譲り渡した(現在はそちらも閉鎖)。入れ替わるように翌年1月からPerrypediaが立ちあげられ、現在もつづいているのは皆さんご存じのとおり。

彼がいなければ、オンライン上のローダン・ファンの活動は大幅に遅れをきたしたと思う。PROCをはじめ、Perrypedia等、やがて同様のものはできたにしろ、現在の様相はまったくちがうものになっていただろう。多大な功績を残したファンのひとりであることはまちがいない。

サイト跡地では、独自のSFシリーズNebularが発表され、77編(予告された78話はどうなるかは不明)が刊行。一部は英訳もされている。
旧Chronik閉鎖以降ローダンのファン活動とは少し距離をおいたようで、同時期に刊行されたローダン宇宙を舞台としたファンシリーズVithauあたりが最後となるのか。
とはいえ、まったく縁が切れたわけではなく、2019年には2999/3000話の空白を埋めるミニシリーズ〈失われた世紀〉の第2話「黄金の平和」を執筆。ゴンドゥナトの継承権を持つ姫が、第二太陽系帝国を訪問中にテロリストに襲われてVRサバゲー大好きなゲオン人(テラナーの末裔)のお嬢さんに救われるというエピソードで、なかなか面白かった。
また、昔からCGグラフィックを手がけており、自著Nebularの表紙はもとより、PROCの会誌SOLの表紙を担当することもあった。多才なかたであった。

わたしより2つ上なので、来月には62歳をむかえるはずだった。謹んでご冥福を祈りたい。

■PROC:Thomas Rabenstein ist tot
■個人サイト:SciFi World Medien

特攻野郎・宇宙チーム

〈宇宙遊撃隊(Das Weltraumteam)はウィリアム・フォルツによる(非ローダンの)SFショート・サイクル。1980年から1981年にかけて、当時月刊で出ていたペリー・ローダン・マガジンに連載された。全14回、10章までが掲載されたが、おそらく闘病などもあり、途絶している。完結までもっていく意向は漏らしていたようだが、残念なことである。


遊撃隊:

ファルカン・コル
――は、テラナーである。
アルコウト
――は、外星人である。
ニコルのスー・アン
――は、王女である。
コスキン・アルドウ
――は、提督である。
鋼狐ローガン
――は、ロボットである。
《スパイダー》
――は、宇宙船である。

『ウィリアム・フォルツ追悼号』の半分は〈宇宙チーム〉

西暦2837年、テラと叛逆した植民惑星のあいだの戦争は熾烈を極めた。外交面からの紛争調停をめざす絶望的な作戦のひとつとして、コスキン・アルドウ提督はその宇宙船《スパイダー》で、仲介工作を依頼すべくニコル王国へ派遣された。しかし年老い、死病に倒れたニコル王にできたのは、まだうら若いスー・アン王女を軍使として送り出すことだけだった。《スパイダー》が帰到したとき、テラとコロニーの艦隊は消滅していた。ソル星系は、何者も突破しえぬ濃密な物質ヴェールの陰に姿を隠していた。ボルドン人が銀河系を強襲し、地球をその橋頭堡としたのだ。彼らだけが、その黒い船をもって、自らの造り出した物質雲を往来することができる。彼らは地球から全銀河系を屈伏させんとしている。ソル系で、そして地球で何が行われ、またはたして人類が生きているのかを、知るものはない。ボルドン人は塵のヴェールに接近を試みるものすべてを破壊してしまうのだ。帰還のその瞬間から、《スパイダー》の乗員たちは謎に満ちた侵略者との戦いを開始した。わずか数年のうちに、アルドウ提督と《スパイダー》のわずかばかりのクルーは伝説的な名声を勝ちとり、また人々が畏敬をもって口にする異名をはせていた。
宇宙遊撃隊ヴェルトラウムチーム、と!
テラの叛徒たちの目標はただひとつ。ボルドン人の独裁を終わらせ、ソル系を包む塵のヴェールを突破して地球をめざすのだ……。

Kap. 1. Rebellen für Terra / テラの叛徒
Kap. 2. Botschaft aus der Ewigkeit / 永遠からのメッセージ
Kap. 3. Rückkehr nach Nikor / ニコルへの帰還
Kap. 4. Das Raumfort / 宇宙要塞
Kap. 5. Der Staubschleier / 塵のヴェール
Kap. 6. Der Zeitnomade / 時間放浪者
Kap. 7. Der Markt von Clanzey / クランゼイの市場
Kap. 8. Das geborstene Ei / はじけた卵
Kap. 9. Das Bordonnenschiff / ボルドン人の船
Kap. 10. Die Spur / シュプール

1984年10月刊行の『ウィリアム・フォルツ追悼号(William Voltz Gedächtnisband)』に収録されているが、その後電書版等が出た様子はない。未完だし、しょうがないのかな。

以下余談:
カンタロ・サイクルが開幕した当時、元ネタはこれじゃないか、という噂があった。故郷を包む難攻不落の壁、未知の侵略者……たしかにそれっぽい要素は見受けられる。サイクル後半、ローダンの眼前で太陽系が消失したあたりも、あー、と思った記憶がある。裏付ける証言等はないので、まあ戯言ではある。

訃報:アルント・ドレクスラー

Perry Rhodan公式Twitter(現X)の告知によると、ローダン・シリーズ表紙イラストを一部担当するイラストレーター、アルント・ドレクスラーが11月1日に急病のため亡くなったとのこと。

バイエルン州ホーフ生まれのドレクスラー、公式サイト紹介のキャッチフレーズが“ずっと宇宙船が好きだった。”なのだが、すでに3歳のときに『宇宙大作戦』に入れ込んで幼稚園の人形の家を司令ブリッジに見立てて遊んでいたというから筋金入りである。
フォルツ/ケルスナーの絵物語『時のかけら』に遭遇、ついで1100話「フロストルービン」からローダン読者となったドレクスラーは、すでにこのころから「SFイラストレーターになる」ことを決意していたらしい。

■『時のかけら』(Zeitsplitter):
フォルツのストーリーに感銘をうけたというアルフレート・ケルスナーのイラストが1980年のヴェルトコンで話題となり、実現した共作本。ローダン宇宙を背景にした「時のかけら」「すべての願いの目指すところ」「ある銀河戦争の勃発について」など18編の短編を収録。1981年のペーパーバックでの刊行後、1985年にハードカヴァー版が出ている。

1799話まで表紙イラストレーターを単独でつとめたジョニー・ブルックが1995年に交通事故で亡くなった際、後任を担ったのは上記アルフレート・ケルスナー、スヴェン・パーペンブロック、ウィリーの息子であるラルフ・フォルツの3名だった(ラルフは2004年まで)。
そして、2002年から加わったディルク・シュルツとともに、レギュラーで表紙イラストを担当していたのがドレクスラーである。シュルツはフェルトホフとの共作の実績から即正篇組に加わったが、ドレクスラーは2003年にまずATLAN青本(旧ATLANヘフトや歴史冒険譚の書籍化)23巻『黄金の女神』から参加。2004年から新ATLANヘフト表紙、正篇に到達したのは2007年刊行の2380話「太陽より来たる」だった(スポット参加なのか、公式サイトでは2704話からチームに)。
シュルツがローダンNEOの表紙も担当してあちらの“顔”であるように、ドレクスラーは正篇とその関連作――ローダン・ミニシリーズや、電子書籍化された惑星小説、ATLANポケットブック版やその書籍化(緑本)などを多く手がけ、正篇2800話、3000話、3200話も担当するなど、まちがいなくこちらもシリーズの“顔”のひとりだった。

ここで書くのはちょっとアレだが、“え、これローダンなんですか?”と少し話題になった3000話前後のローダンのイラストはドレクスラーである。ちょっと若めで、印象が異なる。まあ、イラストレーターがちがうんだから当然といえば当然w

ローダンに参加する以前には、他社のSF・ファンタジー系の作品、〈マッドラックス〉、〈ザモラ教授〉、〈ステルネンファウスト〉なども手がけており、Perrypedia以外にも略歴や作品リストなどが多数みつかる。
月曜日の告知以降、Twitterやブログ等で惜しむ声が引きもきらない。「私より10歳も若いのに。早すぎる」という投稿には実に同意。わしより4つも若いのに……。RIP。

■公式サイトNews:ARNDT DRECHSLER-ZAKRZEWSKI IST GESTORBEN
■公式サイトInfo:SCHON IMMER GERN RAUMSCHIFFE
■個人サイト:ARNDT DRECHSLER
■Perrypedia:Arndt Drechsler

ジョニー・ブルック生誕100年

もう昨日になるが、3月22日はローダン・シリーズ開始から長らくメイン・イラストレーターであったジョニー・ブルック(Johnny Bruck)の誕生日。しかも今年は生誕100年にあたる。

これを記念して、公式サイトでは3点のアートパネル抽選や割引コード配布などの企画をおこなっている。モチーフは“Pax Terra”(ローダン287話「屈せざる者たちの広間」表紙)と、“Demeter”(同865話「宇宙の迷走」表紙)の2種類。
特に前者は、人類と異種族(マークス)の協力をあらわすシェイクハンドな絵柄で、後期のヴェルトコンのコン・ブック表紙に使用されたり、各種媒体でよく見かける。

ジョニー(1921.03.22 – 1995.10.06)の手がけた作品は、ローダンの表紙イラストだけで1800点近く、これに挿画や、ATLANや惑星小説、現在のVPMの源流であるMoewig社のTerra叢書、Pabel社のUtopia叢書等も含めると数知れない。ちょうどTwitterでリストのリンクを貼ってくれた方もいらしたが、とにかくすごい。1984年に出版された画集(紹介文はH・G・フランシス)にちなんで〈3000のSF世界の支配者〉の異名をとったのもうなずける。
日本の読者には、「ドイツの依光先生」と言ったらわかってもらえるだろうか。

交通事故で亡くなった後、追悼のため1800話「クイックモーション(Zeitraffer)」の表紙イラストにジョニーの肖像が描かれ、作中では時代の右傾化を憂うローダンが、ゴシュン湖畔のバンガロー近くに住む同名の画家(新銀河暦1200年代に、油絵を嗜むのだ)と短い友情を育む。同作は、前サイクル末からの60年を駆け足で描写するので、ローダンはともかく、老画家はやがて……というあたり、ちょっと泣けた。

■Perrypedia:Johnny Bruck
■公式News:GEWINNSPIEL ZUM 100. GEBURTSTAG VON JOHNNY BRUCK

訃報:トマス・R・P・ミールケ

トマス・R・P・ミールケ (Thomas Rudolf Peter Mielke)
1940.03.14 – 2020.08.31

クラウス・フリックのTweetやPhantastik-Newsの記事等によると、ドイツのSF作家、歴史小説家、SF文学研究科トマス・R・P・ミールケが8月31日に死去したとのこと。享年80歳。

クリエイティブ・ディレクターを本業とする一方で、60年代にはRex CordaやAd Astra、Terranauten等数多くのヘフト小説に作家として名をつらね、80年代には『聖宇宙(Das Sakriversum)』でクルト・ラスヴィッツ賞長編部門を、「宇宙にひとつの月(Ein Mord im Weltraum)」でSFCD文学賞(後のドイツSF大賞)の短編部門、『壁の崩れた日(Der Tag, an dem die Mauer brach)』で同じく長編部門を受賞するなど活躍した。
80年代後半以降は、『ギルガメシュ』『イナンナ』『カール大帝』『カール・マルテル』など歴史小説のジャンルへ場を移し、多数の著作がある。

SFというジャンルそのものについての著作も多く、代表作は、H・J・アルパース、R・M・ハーン、W・イェシュケらと編纂した『SF文学レキシコン(Lexikon der Science Fiction Literatur)』(Heyne)で、古今のSF文学総解説、タイトルリスト付きという代物である。
「タイトルリスト訳してるときって、さいとーさんシアワセそうだよね……」とマガンに言わしめた逸品だ(ちょっとちがう)。こんなシリーズもあったのか、と幾度も読み返したくなる。1991年刊行、98年には改訂版も出ている。Kindle化しないかな……。

クラウス・フリックは親交があったらしく、「またSFの大作を発表してほしかった」とその死を惜しんでいる。
永年のジャンルに対する貢献に感謝し、その冥福を祈りたい。

■Phantastik-News:Gestorben: Thomas R. P. Mielke (1940-2020)
■ENPUNKT-Tagebuch:Thomas R. P. Mielke ist gestorben
■Wikipedia:Thomas R. P. Mielke

訃報:コンラッド・シェパード

コンラッド・シェパード (Conrad Shepherd)
1937.11.03 – 2020.07.01

7月27日付けPhantastik-Newsの記事によると、ローダン作家コンラッド・シェパードが7月1日に亡くなったとのこと。享年82歳。

本名コンラート・シェーフ(Konrad Schaef)、PNはそのまま英語に置き換えたもの。

機械工学を学び、おそらく米軍基地で働いていたシェーフは西側のSFに触れ、ファンジンMUTANT(ミュータント)の発起人に名を連ねたり、10代の頃からその筋の人ではあったようだ。
1960年、Roy Chesterのペンネームでデビュー作『不気味な円錐(Die unheimlichen Kegel)』がErich Pabel社よりUtopia-Großband叢書120巻として刊行。Wikipediaの記述によると、同叢書用に先行して売れた『帰還(Rückkehr)』という作品があったそうだが、こちらが刊行されることはなかった。このへん、ダールトンのデビュー作『夜空のUFO』のエピソードを彷彿とさせる。

1967年、当時ご近所にハンス・クナイフェルが住んでいた縁で(笑)ローダン・チームに招かれるが、わずか3編のみの発表に終わる。実際にはもう1本、M-87漂着あたりの作品が仕上がっていたらしいが、採用されなかったとのこと。
後、1974年にフォルツの招聘でATLANシリーズに参加するも、こちらも3編のみである。

その後、犯罪小説や機械工学の専門書の執筆・翻訳などの傍ら、ワールドクライム2000やレン・ダークなどのSFヘフトにも数多く執筆しているし、ライバル社でSFヘフトの草案をつくったり(未発表)しているあたり、クルト・ブラントと経歴が似ている。
ただ、ブラントほど決定的な決裂でなかったのか、長生きしたことがプラスに働いたのか、80年代にシリーズ25周年記念のワークショップ本(Werkstattband)に参加したことをはじめ、90年代の後半に惑星小説(これもまた3作)を執筆したり、新たに立ち上げられたスペーススリラー・ブランドの4巻を担当している。
#この頃には本名で執筆。

作品数こそ少ないものの、長期にわたりシリーズに寄与した人物であることは間違いない。謹んでご冥福を祈りたい。

公式Info:Conrad Shepherd
Perrypedia:Conrad Shepherd

元ATLAN作家の回顧録

ファルク=インゴ・クレー(Falk-Ingo Klee)は1946年ボーフム生まれ。ヴルチェクあたりと同年代にあたる。80年代に主としてATLANシリーズのレギュラー作家として1割前後を執筆していた。旧ATLANヘフトが850話で“完結”した後、彼がローダン本篇に参加する機会はなかったのだが、近年になって当時の内幕を知る人物として公式サイトに度々コラムを寄稿している。

今回掲載された“Das Triumvirat der Expokraten”は彼が参加していた頃のATLANヘフト草案作家についてのもの。
Triumviratは古代ローマの「三頭支配者」であり、ローダンではカルスアル同盟の寡頭制としても使用されている。一方のExpokratenは草案作家(Exposé-Autor)とコスモクラートの合成語で、ローダンの草案がヴルチェク+マールの合議制になったのよりさらに後、技術草案やブレーンを含めて草案工房(Expose-Factory)と呼ばれる時期を経て、だいたいフェルトホフとクラウス・フリックが主導権を握った時代から使われるようになった。
いずれにせよ旧ATLANヘフトが刊行されていた時代にはなかった言葉だが、ここでは基本、当時のATLANをウィリアム・フォルツから引き継いだマリアンネ・シドー、ペーター・グリーゼ、H・G・エーヴェルスを指すと思えばよかろう。

個人的に興味深かったのは、原稿には作者の考案したタイトル×3とタイトル下のあおり文句×3を添付され、当時の原稿審査係(Lektor……編者を、往年のファンダムでは慣習的にこう訳していた)であるシェルヴォカートが1点を選ぶか、ピンとこない場合は自分で新たにひねり出す……という仕組みが明記されていたこと。
もう前世紀の話だと思うが、1500話台のとある草案のコピーを見る機会があって、そこに3つのタイトル案が列記されていたのは知っていたが、オフィシャルに書かれたのはこれが最初じゃなかろうか。知らんけど(ぁ

あとは、Terra-Astraの一部でも草案制は採用されていた、とか。
Terra-Astraは70年代から80年代にかけて、週刊・後に隔週でメーヴィヒ社が刊行していたSFヘフト叢書。全タイトルがペリペに掲載されていることにいまさらながら気がついたり。ヴルチェクの『銀河の奇蹟』とか、クナイフェルの『宇宙船オライオン』とか、翻訳モノとしてスタトレやダーコーヴァとかデュマレスト、銀河辺境なんかも収録されていた。日本でいう銀背あたりに相当するのかなあ。
細かく調べていけば、それ以外に、複数作家で執筆されたミニシリーズがあったりするのだろう。それはそれで楽しそうだが。

あと笑ったのは、作家間の連携のため、草案は直接担当しない全作家へも送付され、また書きあがった原稿を次話担当の作家に送付する決まりになっていたのだが、何分インターネットなど普及していない当時、フロリダ在住のマールへ送る便は高額で、後年会った際に「ちゃんと送ってきたの、キミだけだったよ……」なんて言われたとか(笑)

まあ、今は昔。とっぴんぱらりのぷう(違

草案作家の三頭支配者

作家会議2020開催中

公式ツイッターによると、昨日3月6日から今年の作家会議が開催中みたい。

上掲は日本時間の昨晩投稿されたもの。
一番左が、 先頃やはり公式で“今年は新作を”とツイートされたアルント・エルマー。
右手前からファンデマーン、モンティロン、フリック、シュテルン、シュヴァーツ、ヘーンゼル、YouTubeチャンネルも担当するBen Calvin Hary、そして女性がわからないけど、編集部の方かな?
#公式サイトを確認してみた。Bettina Langさんのようだ。

今日投稿分で他にもフェレナ・テムゼン、ウーヴェ・アントン、オリヴァー・フレーリヒの姿も確認できる。ターナーとカイ・ヒルトが見当たらないけど欠席か、それともカメラマンなのか(笑)
現状、写真のみなので、どんな話が交わされているかは、公式で記事になったら、また取りあげるかもしれない。

3/10追記:チーム作家ミハエル・マルクス・ターナーがブログで報告している。題して「邪悪なる作家軍団」(笑)

邪悪なる作家軍団

あれ……ひょっとしてわし、フレーリヒとカイ・ヒルト見間違ってる?

3/18追記:
13日付けで公式でもレポートが載った……けど、通り一遍の内容なので、ここに添付。

AUTORENKONFERENZ IM MÄRZ 2020

フリードリヒスドルフに「シェール通り」

公式ツイッターの本日のつぶやき:

Frankfuruter Rundschau紙の記事によると、フランクフルト北西フリードリヒスドルフで現在計画中の新区画に、ローダン・シリーズ産みの親のひとり、K・H・シェールにちなむ名を持つストリートが誕生するとのこと。
この〈カール=ヘルベルト・シェール通り(Karl-Herbert-Scheer-Straße)〉、2017年に地方議会で優先順位1位で可決され、市参事会の承認も得たというから、あとはもう着工するだけか。

シェールは50年代末から1991年に亡くなるまでフリードリヒスドルフの住人だった。
フォルツ未亡人の回想録にも、買ったばかりの車でオッフェンバッハからシェール宅へ足しげく通うフォルツのことが書かれている。

つーか……この記事、シェールの経歴が半分くらい占めている。ファンか、ファンなのか(笑)

■Frankfurter Rundschau:Friedrichsdorfer Straße nach Sci-Fi-Autor Scheer benannt